そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

where have all the flowers gone

梅雨はどこへ行った。そう書いて不謹慎だと思う。わたしの足りない想像力は常にわたしを不謹慎たらしめる。生きているだけで誰かを傷つけ続ける。

鳴り止まない頭痛を薬でごまかしつつ、エアコンをガンガンに効かせた部屋でPCに向かう。しかし出てくる言葉たちがどれも白々しくよそよそしく、まともな文章にならない。いやそもそもまともな文章なんてかけたためしがあるのかと訊かれると答えに窮する。駄文に次ぐ駄文の量産。誰の為にもならない。でも別に誰かの為になろうなんてもともと思ってもいないか。

今日はデザートに桃がある。夫が海外出張から帰ってきたので好きなものをと思っての妻心である。しかしすでに発見されてしまっていてサプライズにはならなかった。読め、空気をだ。

さて我が家では、スプラトゥーン2に向けてSwitchを2台用意した。夫と二人でプレイするためである。しかし我が家にはテレビが1台しか無い。もともと夫の使ってるディスプレイにHDMI入力できるつもりでいたのだけれどできなかった。このままでは心優しいわたしは常に夫にテレビを譲り、自分は常にSwitchの小さな画面でプレイするしかない。そんなのいやだ!というわけで、ゲーミングモニタを注文してみた。21.5インチ(ワイド)とテレビに比べれば相当に小さいが、ゲームをするには十分な大きさだ。

来週は予定がたくさんある。遊びに行って、旅行に行って、スプラトゥーン2の発売。楽しいことばかりだ。

運だと開き直れれば

今日はまともに社会的な人間的な活動を行った。具体的に言うと健康保険料とか年金とか税金とか医療保険とかもらいすぎた給与の戻入金とか諸々を支払った。45万円かかった。泣ける。生きているとお金がかかる。稼いでなくても、それはそうで。

世の中の子どものいない専業主婦の方はどうやって自分自身の価値を担保しているのだろうか? 毎日完璧に掃除をすること? ホテルライクな夕食を準備すること? めくるめく熱い夜の提供? どれも無理だな。

夫の頑張りはそばで見ていて一番よく知っている。だからそこにただ乗りしていることはやっぱり気が引けてしまう。けれど働けるかと聞かれたらそれははっきり無理で、どうしたらよいのか分からない。今は休職中だけどもういい加減さっぱり辞めたい。でも夫がいなかったらきっと辞めないわけで、甘えが無いかと聞かれたら100%甘えでしかないとも思う。そうはいっても運も人生の中の大きな要素だから、夫と結婚しててラッキーじゃんやめちゃえやめちゃえという考え方もできるかもしれないけれど、なかなか踏ん切れもしない。

仕事に戻るくらいなら海に戻りたい。海から生まれたわけじゃないけど。
さよならって言ってあっさりと人生から退場したい。でもそう言い続けながら生きていくんでしょう。意志の薄弱さ故に死にも届かぬ。生きてるか死んでるかわからないままどうせ死ぬまで生きるんだ、毎日を。

笹舟のような祈りを浮かべればいい

いろいろ考えるけれど、言葉にしない日々が続く。言葉にしない思考はやがてバラバラに解けてしまう。そうして自分が何を考えていたのか、いや何か考えていたのかさえも分からなくなる。改めて言葉にしようとこうしてPCに向かっても、書けるようなことは無くなってしまっているのだ。

アイコンを新しくした。賛否両論あったけれど、否についてあまり考えても仕方ないのでこのまま行こうかと思う。

今日夢の中で笹舟ってどうやって作るんだったか思い出そうとしたけれどどうしても思い出せなかった。知ってるはずのことなんだから夢の中でくらい思い出せてもいいのに。それで朝起きてから調べたけれどどれもピンとこなくて、子どもの頃できたはずのこともこうしてできなくなるんだよなあと少し切なくなる。まあもうどこかのせせらぎに笹舟を浮かべるようなこともないだろうからいいのだけれど。

朝全然起き上がれなくて、明日も明後日もこんな日が続くのかなと思うと暗澹とする。生きていくことは困難が多く、死ぬことの何万倍も難しい。易きに流れてしまう人間なのでこの先をどうやって生きていけばいいのか皆目見当もつかない。夫の頑張りにただ乗りして生きていくだけの人生に意味なんてあるんだろうか?

うだる様な道の真中で君に似合ってた色を思出した

うだるような暑さをはよく言ったもので、こんな炎天下に外にいたら実際にすぐに茹で上がってしまうだろう。わたしはエアコンの効いた室内で高みの見物である。あまつさえホットコーヒーを飲みすらする。至福だ。

それにしても気温が上がるにつれ、動植物、昆虫も活発になってくるみたいだ。ここいらではセミが鳴き始めた。そのうえスズメバチが出るようになってきて、我が家のテラスでも一匹視認した。もう終わりだと思った。スズメバチは本当に怖い。絶滅していただいて構わないが、天敵はカマキリくらいらしい。もっと頑張れよ、昆虫たちよ。頼むから人間の目に入らないところで殺しあって勝手に死んで。プリーズ。

さて。自分の悪口を書いて発散しようとしても、同時に似たような傾向を持つ誰かの悪口にもなってしまうから、難しい。たとえば自分が働いていないことを罵倒しようとすると、同じように働いていない人のことをけなしているような意味を持ってしまう。自分が薬に頼ってしか生きてはいけないことを自嘲しようとすると、同じように薬を飲んでやり過ごしている他の人たちをバカにしたような意味を持ってしまう。随分不自由なものだよなあと思う。とはいえ社会に生きているから、そういうこともあるやねえ。しかし自虐も許されないこんな世の中じゃ。

誰かに好かれると、嫌われるのが途端に怖くなる。でも嫌われることだって、きっとある。それは相手の心の動きだから、本来は自分でコントロールできることじゃない。だからそんなことは気にせずに思う通りに生きていけばいい。でもそれとわがままの境目ってなんだろうって思う。結局いい感じの言葉で自らのわがままを許容しようとしているだけなんじゃないかなと思う。それにやっぱり、そうは言ったって好きな人たちから嫌われたくない!


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七夕

二日間ほぼ寝たきりで過ごしていた。朝起きられない、起きてもソファに寝転んでしまいそこから立ち上がれない、買い物にも犬の散歩にも行けない。夜ご飯も作れない。コーヒーも淹れられない。当然ゲームもできない。音楽すらも聴けない。せいぜいtwitterで人と他愛もないことを喋るくらいしかできることがなかった。twitterには本当に感謝しかないのである。わたしに残された最後の社会性。
今日はこうしてデスクでPCに向かう程度には取り戻してきた。ここであまり無理をしないことである。

音楽を聴ける気分のときは、最近はMr.Childrenの「[(an imitation) blood orange]」をよく聴くのだけれど、聴けば聴くだけ味が出てくるいいアルバムだなあと思う。「hypnosis」「pieces」「かぞえうた」「祈り〜涙の軌道」は文句無しで良曲だし、「Marshmallow day」も久々って感じの疾走感あるラブソングでわくわくするし、「イミテーションの木」はタイトルの通りこのアルバムの裏の看板曲だと思うし。まあ他の曲も。
ただ確かにエース級の曲がないと言われたらまあその通りなのかもしれない。でも全体的に綺麗な曲が多くて、桜井さんの切ない歌声とマッチしていて、いいアルバムだよなとやっぱり思う。

さて今日は七夕である。何を祈ろうかなと思っても祈ることなんか特にない。
夫に幸せがありますように。それだけかな。本当に、さ。

テーマが必要

湿度の高い一日で、街中がプールみたいな匂いだった。夕方を過ぎてから雨が降り出し、雨粒が街の喧騒を閉じ込めてそれとはまた別の騒々しさを作り出す。バチバチという雨音は、楽しそうな音にも聞こえる。子どものようにはしゃいで、雨の中を飛び出していきたい。強い風に吹かれて転びながら、大きな雨粒を全身で受け止めたい。パンツまでぐっしょり濡れながら、キャアキャアと甲高い声で騒いでいたい。でも現実のわたしは大人だからそれをしない。傘を差して、家路を急ぐ。家には大雨が苦手な犬が震えながら、わたしの帰りを確かに待っているのだ。

なんとなく小説を書きたいけれど書きたいことが特に無い。
昔途中まで書いた小説とかを読み返しても文章も下手だし何が言いたいのかさっぱりわからない。そもそもインプットが少なすぎてアウトプットするのが憚られる。こんなんじゃ水嶋ヒロの方が面白い小説を書けるだろう。加藤シゲアキなんか雲上人だ。物語を書ききる力というのはすごい。

頭からベタ打ちで思いつくまま文章を書いたらどうなるだろうと思って書いたのがコレ。

「体は前向きにできてる」と嵐は歌ったし、とわたしは前を向く気合をいれるために鏡の前に立って自分の頬を叩く。パチンと音が鳴って、その現実的な痛みが前を向く力に変わることを期待する。パチンパチン。何度か叩く。でもただ単にほの痛いだけで心境になんらの変化も起こった気がしない。当たり前だ。そんなことで前を向けたら苦労はない。そもそも暗闇には前も後ろもないのだ。
 って、なに暗闇ってってわたしは笑う。そんなにわたし行き詰まってたっけ? そんなことない。公務員試験に受かって面接も通って市から内定をもらってるし准ちゃんとも順調だしそんなに沢山じゃないけど友だちだっている。家族が抱えているトラブルだってまったく無いわけではないけれどおそらく普通の範疇だし、とりたてて健康状態が悪いとかそういうこともない。そんな人が何暗闇とか言っちゃってんの、ともう一度苦笑する。「暗闇には前も後ろもない」なんておそらくどこかで聞いたことのある借用フレーズだ。ちょっとうまいこと言ってみたかっただけなのだ。心の中のことだけなのに。

「心の中のことだけなのに」って書いた記憶がなくて、面白いこというなあと自分で感心する。これから多用するかもしれない。「心の中のことだけなのに」

それにしても続きが全く思い浮かばないから、頭からベタ打ちというのはやはり正攻法ではないなと思う。テーマがあって、プロットがあって、人物があって、物語を作っていくのだ。

生きてく衝動

ミスチルのアルバム「深海」について。

わかる人だけわかる話。シーラカンスとは一体何かってこと。ひょっとしたら議論は尽くされてるのかもしれないけれど、自分なりの答えが出たので書く。

シーラカンス」と、生きた化石と呼ばれる生物に例えていることから、「かつては普通にあったもの」「今も奥深い海のような場所でたしかに存在するもの」を表していると考えられる。それは「愛する人の中」や「僕の心の奥深く」に今でもあると感じている。

最初は情熱とか、愛とか、あとはありきたりに「自分自身」とかそこらへんかと思っていたけれども、それらは「深海」ほど深くはないところにあるような気がして。で、じゃあ「深海」に押しやられた何か大切な気持ちって何かなって思ったら、ああこれはもっと根源的な「生きてく衝動」のことだなという答えに至った。それを見失っているから「死にゆくことにさえ憧れ」てしまう。でもそれがかつて、そして今でも実は自分の中や愛する人の中にあることは分かっていて、だから「シーラカンス」に連れてってくれないか、連れ戻してくれないかと切望する。思いつきなので論理的でなく申し訳ないですが。異論は山ほど受け付けます。

生きていくことって、死ぬことよりもはるかに衝動的なんじゃないかと近頃は思う。押しとどめることのできない衝動。理屈も理由も動機も道理もない。ただ沸きあがる、人を突き動かす生命の躍動。生きてく衝動性に比べたら死ぬことのほうがよっぽど理性的に思えすらするくらいだ。冷静に考えてしまえば一人の人が人生を全うする理由なんてそれほどなくて、意味もたいしてない。気をつけてたって人は死ぬし、そのことで世界は終わったりしないことからもそれは明らかだ。でもじゃあなんで生きていくのかっていったら、何の説明も要らないほど強い単純な根源的な生きてく衝動の所為なのではないかと思う。

だから「深海」という最後の曲で、「死にゆくことにさえ憧れるのさ」と歌いながら一方で「シーラカンス」を待ち焦がれているというのは、本当は強い生への憧れ、執着を歌ってるのかなあと。
まあ今更かもだけれど。