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そして毎日はつづいてく

拝啓 見知らぬあなたへ

1月から3月の短歌まとめ その2

緩やかな死を生きていく病室のカーテンをため息で揺らして


真夜中に降る雪にぼくは気付かない夜が明けてみれば快晴の空


あとほんの少しの勇気ときっかけで生きていけたり死を選んだり


楽しくて幸せだった人生をどこで終えるかくらいの自由


きみのこと好きでもそれはそれだけでかなしさがあるさびしさがある


カカオからチョコができているようにいろんな過程で育てる愛だ


生き過ぎているのだぼくはこんなにも会いたい人にももう会えないのに


友だちが100人できたらいいのになぼくはみんなを愛するのにな

4月5日の駄文

川沿いを歩く。一本だけ生えている桜は満開にはまだ遠い。近隣の保育園の園児たちが河原を走り回る。いたずらっ子に帽子をとられて声を上げて追いかける子がどこか愛おしい。川の流れは緩やかで、しかし淀みを感じさせず、その鷹揚さに癒されている自分がいる。次も水のある場所に住みたいと夫は言う。言っている意味はよく分かる。

水がたくさん集まっている景色がどうして人の心を落ち着かせるのか、分からない。けれど川や海を見ると肩の力が抜けてほっとする。気持ちが切迫しているときなど、ほとんど泣きそうになる程だ。きっと泣いたって別に構わないのかもしれない。わざわざ泣きに来る人だって、あるいはいるのかもしれない。自意識を放り捨て、周りを気にせずメソメソすればいいのだ。そういうことだってときには必要だ。

さて、引き続きメールアドレスの変更通知をチクチクと一通一通送っている。近況を報告してくれる後輩、体調を気遣ってくれる先輩、業界の動向を教えてくれる同期、様々な人がそれぞれの言葉で返信をしてくれる。自分が築いてきたものって無駄じゃなかったんだなあと本当に嬉しく思う。幸せ者だなあと感じる。だけど一方でこういった幸せはとてもつらい。胸が苦しくなる。自分にはその資格が無いからだ。身に余るというか、分不相応というか。そしてその好意の一つ一つ、期待の一つ一つを裏切って生きているように思う。みんなを騙し続けている。そんな気分だ。

まあいろいろな人に焦るなと言われるのでそれが正しいのだと思う。
しかし焦らず家でニートをして昼間からゲームなどに興じていると、各方面への申し訳なさが募る。放り出した仕事や、人間関係、半年も不在にしていた家庭、エトセトラエトセトラ。
一つずつ恩返ししていかなければならないが、受けた恩の途方の無さに挫けそうだ。

1月から3月の短歌まとめ その1

生まれたらひとりぼっちで死んでいくぼくらはそんな風に生きてる


イヤホンのLとRを逆にして戸惑いながらわざと泣く夜


指鳴らしパチンと世界を変えてしまう元のぼくには二度と会えない


穏やかな春の陽気を身にまとうきみに会いたいきみに会いたい


欄干に登って三分潮時だ ゴウゴウと川 じゃあねさよなら


できるだけ静かに暮らすいつの日かぼくが消えても気付かぬように


さよならと別れの歌を歌ってるきみの笑顔はやけに素敵だ


まだ顔も名前も知らないきみのことたしかに好きで寂しさつのる

4月4日の駄文

久しぶりにブログを公開してみる。少し事情があって、あらゆる接点を断ちたかったということがあったのだけれど、しかしわたしは、ずっと文章を書かないということをどうしてもできないようだ。

さて、3月の末に退院してきた。日常にひとまずは復帰できている。食事も作れているし、掃除もできているし、洗濯だってちゃんとするつもりがある。
また、iPhoneを買い換え、格安SIMに乗り換え、メールアドレス変更のお知らせをせっせと送っており、ずっと拒否していた人とのコミュニケーションにも復帰したことにもなる。なんとなく一斉送信をしたくなくて、一人一人に宛てたメールをきちんと書いていると、アドレス変更メールなのに返信をくれる方が多い。そのどれもに「また会いましょう」といったことが書かれていて、それがたとえ社交辞令であっても、まあ社交辞令を言うくらいの関係性は築けていたんだなと少しだけほっとする。しかし現実に人と会うにはわたしはまだ準備不足であり、「また会いましょう」はきっとわたしたちの人生の多くの美しい約束と同様に、果たされずに終わるのかもしれない。でもそれでいいんだ。今はまだ。

1月31日の駄文

寒い1日だった。強い風が吹くたびにへこたれそうになった。早々に咲いた梅の木にはメジロが数羽いて、花の蜜を吸っている。昨日の暖気で誤って咲いたようなタンポポが一輪枯れた芝生にあって、バカだねぇと話しかけてみる。寒さの中にあっても、春は確実に近付いている。

春が来るたび思い出す、別れ。
大好きな上司が東京に出向することになって、最後に会えた、病院の談話室。そのときもわたしは入院していて、退院のめどは立っておらず、その上司と会えるのはそれが最後だとわかっていた。もちろん東京なんて近い。現にこの後も何度か飲みに行ったりお茶をしたりしている。けれど一緒に働くことはこの先無いことが分かっていて、最後の時間をお互いに惜しむように延々と話したこのときは本当にとても寂しかった。別れたくなかった。ずっと話していたかった。

もっと話したかった。大好きだった。って書いて、過去形なんだなあと思う。もう人生できっと2度と会えない。わたしには合わせる顔が無い。

大好きな人を思うとき、それは既に過去形になっていることが多い。たとえば仕事の師匠がシラフのときの居心地の悪そうなところも大好きだったって思うし、よくしてくれた先輩のみんなに公平で前向きなところも大好きだったって思う。大好きだ、とは思わない。大好きだったんだって強く思う。

好きが過去形になるのは、不思議だ。永遠に2度と会えないとしても、好きでい続けることはできるはずで、なのにどうして過去形になってしまうのだろう。きっと好きでい続けることは、見返りを期待してしまうことなのかな。だから見返りを期待できない気持ちは、過去形で終わらせてしまうんだろうか。諦めてしまうんだろうか。

いずれにせよ、生きているのにもう2度と会えない人がいるというのはとても寂しい。ほとんど泣ける程だ。

1月25日の駄文

見上げれば相変わらず抜けたような空で、眼下には西武多摩湖線が走る。びゅうびゅうと風が吹き付け、早咲きの梅が散ってしまうのではないかとわたしは心配に思う。

単調な日々。あらゆる見舞いを拒否し、他人を忌避し、あえて孤独に身を寄せてそれらしく振舞ってみる。ときに泣きすらする。しかし本質的に人は孤独であるなどという一般論はさておき、現実のわたしは孤独とは程遠く、他者を傍に入れたがらずとも、夫は甲斐甲斐しく世話をしてくれるし、医師や看護師はわたしに寄り添い、受け入れ、導いていく。ツイートをすれば構ってくれる人がおり、短歌を詠めば「よいね」もつく。ひとりぼっちのまったき対極にいる。それなのになぜ、孤独の塔などに登ろうというのか。

受け入れ難い事実があり、しかし二転三転が予見され、結局自分が何を受け入れればよくて何を悲しめばよいのかすらも現時点においては判然としない。
ならば、なに、いたずらに心配をするのはやめるべきだろう。結局人生はなるようにしかならない。

いやでもしかし、なるように、には様々な意味が込められてる。気持ちがあり、意志があり、努力があり、運がある。なるようになる「結果」には、そうした諸々が反映されるのであるし、ただ漫然と日々を過ごしていくことが「なるようになる」の意味ではないはずだ。
であればわたしは気持ちを固め、意志の力を持ち、たゆまぬ努力をし、運の良さを引き寄せなければならない。

などと書くといささか意識が高めに見える。わたしの意識はしかし地を這う川底よりも低い。

とっとと降りたいよ、もう。

1月22日の断片

伸びた手から伝わる柔らかい体温は
心を震わせるには十分で
それは喜びであり 救いであり
同時にあり得ない幸福への恐怖のようでもあった

望まれてないホームランを打ってしまった少年のような気まずさで、多幸感も生命感も含まないアルカイックスマイルを浮かべている。

生き続けていくことが そのもの
何かを裏切り続けているということで
冬の空を飛ぶ名前も知らない鳥たちに自分を重ねても
別に深まらない、孤独

さようならとじゃあまたねを必ずセットで口にするようにしていると、きっとどこまでも前を向いていることができるのかもしれない。
きっといつまでも、あなたを裏切り続けられるのかもしれない。