そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

12月9日の駄文

夕日が街中をオレンジに染め上げる。病室の窓から見える動物実験棟やさまざまな木々は逆光を浴びてまるで影絵みたいに映る。孤独が克明に浮かび上がる夕間暮れ。寂寥感に満たされた空。しかし同時に世界はみんな孤独であると教えてくれるような夕景だ。どこまでも茫々としていて、だからこそ果てしない救いに満ちている。こんなときには神様がきっと顔を出しているんだろう。

短歌を詠むだけでなくまた文章も書くのかよ、というところではあるが、こればかりは依存性が高いので止めようがない。スターがもらえるとかもらえないとか関係無い文章を書く。誰も読まないし読んでもなんの教訓もないような、そんな文章だ。

なぜそんなに文章を書かずにはおれないのか。考えはするけれど明確な答えも見出せない。一つには自分の文章がたまらなく好きだというナルシシズムが挙げられるだろう。他にも、まあ何かしら理由はあるのだろうけれど、もう若くないから掘り下げない。掘り当てたとしてそんな自意識の塊に耐えられる精神的タフネスはすでに失われてしまった。

何か結果があるとき、原因をどうしても知りたいと思うのはひょっとしたら人間の性なのかもしれないが、しかし適応的では必ずしもないと思う。原因が分かったとしても、乗り越える工夫がなければ何も変わらない。もちろん、原因を知ることで取るべき手段が変わることもあるだろうから無駄だとは思わない。とは言え、ね。何度でも書くが、もう若くないのだ。大人になったら大人なりの振る舞いというのがある。それは別に諦念とか老獪とかそういう言葉で表されるものではなく、まさに「適応」なのだと思う。

そういうわけで、ネッツの海にまたボトルに入れた手紙を放つわけです。お付き合いいただける方は、本当にありがとう。