読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

思い残すことなど

拝啓 見知らぬあなたへ

12月30日の駄文

冷え込んだ河原を犬と夫と一緒に歩く。空気がシンと澄んでいて、丹沢山系の山々やその奥に大きな富士山がくっきりと見える。なんでもない景色だけれど、入院中の一時帰宅の身からすると胸を打つものがある。夕焼けならなおさらといったところだけれど、今日は夕空は見ていない。

たまらない寂しさがある。
みんな寂しいんだなと思うことがある。でもそれは勘違いで、みんなの心は常に健やかで満たされていて救われているのかもしれない。そうならそれはそれで素晴らしいことだと思う。それがいいと思う。寂しさは自分が請け負うからみんなは疑うことなく幸福であってくれよと思う。

ナルシシズム。

たとえば雪の降る冬の動物園なんかどうだろう? 動物たちのいない屋外の展示施設。孤独の代名詞。閑散としていて、しょぼくれた自分の自意識を演出するのにもってこいではないだろうか?
まあまずは動物園に行けるようにならなければならない。今のわたしにはできないことが多すぎるのだ。

さようならって使いどころがすごく難しい。さようならにならなかったら気まずいし、ちょっとした切なさが残ってしまうし。
ありがとうも同様だ。普段はへらへらすぐにありがとうと言う自分だけれど、いざというときになったらうまく言えなかったらどうしようと思って口ごもってしまうだろう。

何もかもに疲れたとき、向かうのはきっと川か海だけれど、それはどうしてなんだろう。水がたくさん集まっている景色が好きだ。安心するというのとも違う。別に懐かしい景色でもない。けれどどうしようもないとき訪れるのはいつでも海で、それは多分最後の最後でも一緒なんだと思う。

あまりに鮮やかすぎたので、その去り際に憧れてしまう。
その景色をわたしも見たいなあと思ってしまう。

たとえば高所で立ちすくむように、駅のホームで体がこわばるように、まあそんなようになるんだろう。

ああ、「魔法みたいに見える」かなあ。
「今そんなことばかり考えてる」