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思い残すことなど

拝啓 見知らぬあなたへ

1月25日の駄文

見上げれば相変わらず抜けたような空で、眼下には西武多摩湖線が走る。びゅうびゅうと風が吹き付け、早咲きの梅が散ってしまうのではないかとわたしは心配に思う。

単調な日々。あらゆる見舞いを拒否し、他人を忌避し、あえて孤独に身を寄せてそれらしく振舞ってみる。ときに泣きすらする。しかし本質的に人は孤独であるなどという一般論はさておき、現実のわたしは孤独とは程遠く、他者を傍に入れたがらずとも、夫は甲斐甲斐しく世話をしてくれるし、医師や看護師はわたしに寄り添い、受け入れ、導いていく。ツイートをすれば構ってくれる人がおり、短歌を詠めば「よいね」もつく。ひとりぼっちのまったき対極にいる。それなのになぜ、孤独の塔などに登ろうというのか。

受け入れ難い事実があり、しかし二転三転が予見され、結局自分が何を受け入れればよくて何を悲しめばよいのかすらも現時点においては判然としない。
ならば、なに、いたずらに心配をするのはやめるべきだろう。結局人生はなるようにしかならない。

いやでもしかし、なるように、には様々な意味が込められてる。気持ちがあり、意志があり、努力があり、運がある。なるようになる「結果」には、そうした諸々が反映されるのであるし、ただ漫然と日々を過ごしていくことが「なるようになる」の意味ではないはずだ。
であればわたしは気持ちを固め、意志の力を持ち、たゆまぬ努力をし、運の良さを引き寄せなければならない。

などと書くといささか意識が高めに見える。わたしの意識はしかし地を這う川底よりも低い。

とっとと降りたいよ、もう。