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思い残すことなど

拝啓 見知らぬあなたへ

1月31日の駄文

寒い1日だった。強い風が吹くたびにへこたれそうになった。早々に咲いた梅の木にはメジロが数羽いて、花の蜜を吸っている。昨日の暖気で誤って咲いたようなタンポポが一輪枯れた芝生にあって、バカだねぇと話しかけてみる。寒さの中にあっても、春は確実に近付いている。

春が来るたび思い出す、別れ。
大好きな上司が東京に出向することになって、最後に会えた、病院の談話室。そのときもわたしは入院していて、退院のめどは立っておらず、その上司と会えるのはそれが最後だとわかっていた。もちろん東京なんて近い。現にこの後も何度か飲みに行ったりお茶をしたりしている。けれど一緒に働くことはこの先無いことが分かっていて、最後の時間をお互いに惜しむように延々と話したこのときは本当にとても寂しかった。別れたくなかった。ずっと話していたかった。

もっと話したかった。大好きだった。って書いて、過去形なんだなあと思う。もう人生できっと2度と会えない。わたしには合わせる顔が無い。

大好きな人を思うとき、それは既に過去形になっていることが多い。たとえば仕事の師匠がシラフのときの居心地の悪そうなところも大好きだったって思うし、よくしてくれた先輩のみんなに公平で前向きなところも大好きだったって思う。大好きだ、とは思わない。大好きだったんだって強く思う。

好きが過去形になるのは、不思議だ。永遠に2度と会えないとしても、好きでい続けることはできるはずで、なのにどうして過去形になってしまうのだろう。きっと好きでい続けることは、見返りを期待してしまうことなのかな。だから見返りを期待できない気持ちは、過去形で終わらせてしまうんだろうか。諦めてしまうんだろうか。

いずれにせよ、生きているのにもう2度と会えない人がいるというのはとても寂しい。ほとんど泣ける程だ。