そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

4月5日の駄文

川沿いを歩く。一本だけ生えている桜は満開にはまだ遠い。近隣の保育園の園児たちが河原を走り回る。いたずらっ子に帽子をとられて声を上げて追いかける子がどこか愛おしい。川の流れは緩やかで、しかし淀みを感じさせず、その鷹揚さに癒されている自分がいる。次も水のある場所に住みたいと夫は言う。言っている意味はよく分かる。

水がたくさん集まっている景色がどうして人の心を落ち着かせるのか、分からない。けれど川や海を見ると肩の力が抜けてほっとする。気持ちが切迫しているときなど、ほとんど泣きそうになる程だ。きっと泣いたって別に構わないのかもしれない。わざわざ泣きに来る人だって、あるいはいるのかもしれない。自意識を放り捨て、周りを気にせずメソメソすればいいのだ。そういうことだってときには必要だ。

さて、引き続きメールアドレスの変更通知をチクチクと一通一通送っている。近況を報告してくれる後輩、体調を気遣ってくれる先輩、業界の動向を教えてくれる同期、様々な人がそれぞれの言葉で返信をしてくれる。自分が築いてきたものって無駄じゃなかったんだなあと本当に嬉しく思う。幸せ者だなあと感じる。だけど一方でこういった幸せはとてもつらい。胸が苦しくなる。自分にはその資格が無いからだ。身に余るというか、分不相応というか。そしてその好意の一つ一つ、期待の一つ一つを裏切って生きているように思う。みんなを騙し続けている。そんな気分だ。

まあいろいろな人に焦るなと言われるのでそれが正しいのだと思う。
しかし焦らず家でニートをして昼間からゲームなどに興じていると、各方面への申し訳なさが募る。放り出した仕事や、人間関係、半年も不在にしていた家庭、エトセトラエトセトラ。
一つずつ恩返ししていかなければならないが、受けた恩の途方の無さに挫けそうだ。