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そして毎日はつづいてく

拝啓 見知らぬあなたへ

4月6日の駄文

午前中看護師さんが来てくれて1時間ほど話していた。相手がほとんど喋りわたしは相槌をうつだけだったが、それでもなかなかに気疲れしてしまうようで、午後は買い物に行ったあと少しだけゲームをして、あとは犬と惰眠をむさぼっていた。犬は昨日シャンプーをしたばかりですべすべしていい匂いがする。心地よい温かさがあって、抱いていると自然と眠気がやってくる。眠る。咳が出て起きる。また眠る。眠る。

眠りの中に救いは無いとDragon Ashは歌ったけれど、実際のところどうなんだろう。耐え難い現実から目を背けることができるというのは、ある意味では救いとは言えないのか。眠っているとき、一瞬でも心が軽くなるなら、それは救いとは言えないのか。現実世界で救われなければ、それは救いとは言わないのか。
……まあなんだって構わないのだけれど。

一気に春の陽気だ。コートは要らない。風が強く吹いていて、桜が散ってしまうのではないかと心配になる。週末は雨の予報で、今年はもしかしたら桜をきちんと見ずに終わってしまうのかもしれない。でも思い返せば去年も一昨年もその前も花見なんてしていなくて、それはただの毎年の日常なのだった。でもなんでだろう、今年は妙に桜が見たくてたまらない。長く病院にいたからだろうか。

ぼんやりと関係を切られた友だちについて考えていた。人間関係においては距離感とかコミュニケーション頻度とかさまざまな要素があるけれど、どれが肝で何が地雷なのかは人によって異なるので、関係性を維持するために万能な手段なんてない。
でも大抵は大人同士の関係だから、適度に適当にやっていけるのが通常だと思う。相手が気に入らないことを言っていれば無視すればいいし、相手の反応を見てコミュニケーションの濃淡をコントロールすればいい。そうして場合によっては、緩やかに疎遠になっていき、連絡先だけを知っているような間柄になり、でも何かの折に会えばにこやかに会話をする。それが普通なんだと思っていた。だから友だちだった人と明確に友だちじゃなくなるっていうことは自分にとっては稀な経験で、なんだかやるせない気持ちになるものだなあと思う。

春は別れの季節だ。だから死ぬのなら春がいいな。世間一般の別れに紛れて、それがそうと気が付かないうちに、あらゆる人から忘れられていきたい。