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思い残すことなど

拝啓 見知らぬあなたへ

4月8日の駄文

鳥が空を飛ぶように軽快さを持って生きていきたい。何ものにもとらわれず、何ごとにも動ぜず。

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でも鳥だってきっと飛ぶことに疲れたり、環境に左右されたり、ときに怖気づいたりしているはずで、「鳥のように」なんてあくまでも人間の側の幻想だ。そのくらい知っている。けれど比喩としての「鳥」はいつでも身軽で、颯爽としていて、不敵だ。

相当な量の薬を毎日飲み込んでやっと人並みの生活ができている日々で、いやそれすらも怪しい生活の中で、自由の象徴としての「鳥」に途方もない憧憬の念を抱く。軽やかさはどのようにしたら身につくだろう? 淡々とすることがそれに近づくことなのか。心にひっかかる様々なことを淀みなく流せるようになれば理想に寄っていくだろうか。物理的に外へ出ていけばあるいは、少しは……。

鳥が空を飛んでいくように鮮やかに消え去りたい。誰にも気付かれないうちに、何にも影響しないうちに。

将来に渡って生き続けていることが周りから常に求められていると、逆に生きづらくなっていく気がする。生きてても生きていなくてもいいよと適当に扱われるくらいの方が、気楽さが生を後押しするようにさえ思う。最悪死んでも受け入れるくらいの覚悟でいてくれたらいいなと。まあ、そんなことは我侭だと知りつつ。けれど人間なんてみんな元来が我侭なものだろうと開き直ることもできるのだ。自覚的であるかないかの差こそあれ。


ところでこのブログは、文章を書くときには「○月○日の駄文」というタイトルを付けているが、個別にきちんと考えてタイトルを冠するべきだろうか?
それほどの価値も無いと思っているから「駄文」と付けているわけだけれど、他人のブログを読んでいるとタイトルも文章の一部なのかなと思えてくる。別に多くの人に読んでもらいたいという類の文章では無いが、どうするのがよいのだろう。まったく読まれていないというわけでもないので、少しは体裁を整えるべきなのかと考えたりもするけれど。