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そして毎日はつづいてく

拝啓 見知らぬあなたへ

4月10日の駄文

満開の桜を見れるのも最後だろうということで、少し足を伸ばして桜の咲いた公園なぞに繰り出す。マスクにiPodという心地よい一日には相当に場違いな出で立ちで、春の陽気が降り注ぐ公園通りの坂道を登っていく。

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街中にもいくらか桜の木が植わっていて、それらはどれも満開を通り越して散り始めている。桜の下には死体が埋まってると言うけれど、たとえそれでも不思議が無いくらい散っていく桜の美しさは身震いをするほどだ。

月曜日の朝の公園は閑散としている。何組かの子ども連れが遊具で遊んでいる程度だ。満開の桜を前に写真を撮っている人もいない。
そもそも一面の桜を写真に収めるのは難しいなと思う。わたしには無理だった。それで関係無い写真を撮ってみたりする。

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無人のブランコの存在感は濃いのか薄いのかよくわからない。いっそ漕いでやろうかと思うけれど人目が気になるのでそうしない。

夫の友人の育児日記に子どもがブランコに乗れるようになったとかならないとかそういう記載があって、ブランコに乗れない時期というのが人間にはあるんだなと改めて気付いた。そんなブランコに乗れない時期にも人はものを考えていて、何が好きとか嫌いとかあれがいいとか悪いとかの判断もあって、言葉を喋ったり喜びや怒りを表現したりして、ああなんかすごいなと思う。自分がそんな奇跡のような日々の延長線上に生きているなんて信じられない。

空は青い。風がビュウと吹いて桜は一面に舞い上がり、そして降り注ぐのだ。

自分に生きていて欲しいと思う人がたしかにいるのに自分自身ではそうは思えないということは、常に相手を裏切り続けているということなのであって、途方もない罪悪感を生む。焦らず何も考えずに療養すればいいと周りの人は言うけれど、これだけたくさんある時間の中で考えずに過ごすというのは言うほど簡単じゃない。途方もないほど茫漠とした人生をどうやって生きていくのか。そもそも生きていくのか。

桜吹雪が世界のすべてを祝福して見えるように、分かりやすく人生に救いがあればいいのにと思う。目に見えて、手で触れられて、揺るぎない。そんなやつだ。