そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

みじん切りが好きだ

みじん切りが好きだ。無心に野菜を刻んでいく。それはミートソース、それはケチャップライス、それはドライカレー、エトセトラエトセトラ、何にでもなる。とにかく刻んでいく。ちゃっちゃっちゃ、次、ちゃっちゃっちゃ、次。心がざわついていても、みじん切りをすると少し落ち着きを取り戻すことができる。

でもそれはよく考えたらみじん切りに限ったことではなくて、料理全般に言えることだ。料理というのは始まりがあって工程があっておしまいがある。世の中のさまざまなことが始まりも終わりも曖昧なまま推移していくのに対して、格段に明快で率直だ。作業に没頭してひとつのものをきちんと作り上げると、当たり前だけれど満足感がある。おまけにちゃんと作った料理はちゃんと美味しい。そう、料理はレシピ通りにちゃんと作ろう、Let's !

さてそれにしても。
なんというか、自分がどうしたいかっていうのは健康なときしかわからないのだなと思う。ここのところ本当に冴えなくて、断続的に薬を飲んでいないとやばくてやばい。そんな状態だから自分がどうしたいのかどうすべきなのかってこともよくわからないし、多分今意思決定をしたりしないほうがよいのだろう。でもそんな調子だからこそすっきりしてしまいたいという気持ちもあって。要は会社を辞める辞めないという話なのだけれど。その決断をひとまず棚上げして毎日を過ごすことはできるけれど、とにかく休職中(で復職するつもりがほぼほぼ無い)この宙ぶらりんな状態が苦しくて、もう辞めてさっぱりしたい。

そういうもやもやがとにかくひどくて、それでなくてもこの二週間本当に具合が悪くて、もう仕方ないから薬を飲んでブーストして、新しく買ったピカピカの包丁でにんじんとたまねぎをみじん切りにしていた。それはケチャップライスの具となり、最終的には卵に巻かれてオムライスになった。ケチャップライスを卵で巻くのに失敗するのはいつものことで、でも味は美味しい。ご飯が美味しいと思えてるうちは多分まだ大丈夫なんだろう。

本当に大丈夫であるかどうかはわからないけれど、大丈夫と言い聞かせてなんとかするしかないなと思う。
「生きていることは自殺の延期」というツイートを見かけたけれど、でも、それはその通りだと思っていて。そうじゃない人がたくさんいるのは知っているけれど、自分にとってはしっくりくる文言だ。

とはいえ少なくとも今日を生きている以上、その決定が暫定的であるとしても、生きると決めたということだ。それが自殺の延期でしかないにせよ、生きていくのなら主体的に生きていかなければならない。
「何かを決めるときに他人を主語にするな」という教えの通りであって。自分が決めたことなんだから自分で責任を持って行動しなければならないんだと思う。

けどそれにしたって煩わしいよ。