そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

神の手の中にある

曇りと晴れとを行ったり来たりする天気の1日だった。涼しいような暑いようなどっちつかずの気候だ。もうすぐ入梅である。紫陽花を見に鎌倉へ行きたいなと思うけれどきっと行かない。混雑が嫌だし体力ももたないしそもそも出かける気力が無い。

そんな風だから書くことも特段無いのだけれど、何かを書かずにはおれないのはなぜだ。誰かに読んでもらいたいのだろうか、共感が欲しいんだろうか、承認を求めているのだろうか。

薬を飲みすぎていて、ぼーっとした頭でこの文章を打っている。

誰かを傷つける目的で書かれた文章は、きっとすぐに分かってしまうだろう。嫌いは好きより早く伝わると吉田秋生も書いた。おそらくその通りなのだと思う。だからなんだという話ですが。

脈絡無く。
心理検査で「神様はいると思うか」という問いがある。「そう思う」「そう思わない」の二択で答える。おそらくキリスト教圏で作成されたテストであるのでこの場合の神様はキリスト教における神様なのかもしれないが、わたしは一も二もなく「そう思う」を選ぶ。様々なものに宿る神様もきっといるだろうし、すべてを包み込む大きな力としての神様もおそらくいるんだろうと思う。そして自分の大好きな人たちの人生が神様からの祝福に満ちた素晴らしいものになって欲しいと願っている。

何か大きな不幸があると「神様なんていない」「神様がもしいるとしたら許さない」と思ってしまうかもしれないけれど、そうした否定や非難も神様は多分飲み込んでしまう。前段の最後の文と少し矛盾するけれど、神様っておそらく積極的に個人の人生や人間の存在のあり方に関与してこないんじゃないかなと思う。もっと大局的というか。かつ自然と起こってしまうことに対しては無為自然という立場をとっている気もする。じゃあなんのために存在しているのかと言われれば答えに窮するけれど。

調子が悪くなってからは神様のことをよく考える。神様、どうか!
そうだからといって神様がどうにかしてくれることはなくて、でも神様の存在はなんとなく信じていて。不思議だ。

小沢健二が「流動体について」の中でこう歌う。

神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらい

この歌詞について入院中に主治医と少し話した。「神の手の中にある」というのはどういう意味なのか「宇宙の中で良いこと」とは何か。
「神の手の中にある」というのは「現に生きている」ということそのもの、「宇宙の中で良いこと」とは「これからも生きていく」ということなんじゃないかと。

無限の海は広く深く
でもそれほどの怖さはない
宇宙の中で良いことを決意する時に

そうなのならいい。