そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

梅雨入りとか雑感

朝に書いたエントリは筆が滑りすぎていたし内容的に剽窃じみていたので下書きに戻しました。読んでくださった方はありがとうございました。

さて今日から梅雨入りだそうで、横浜も晴れ間のない1日だった。といっても雨も降っていない日に梅雨入りと言われてもピンとこない。でもそうだと言うならきっとそうで、現に明日は雨の予報だ。嫌な季節である。みんなが調子を崩すから、自分が不元気でいることがあまり許されない気持ちになる。誰だって自分が辛ければ「俺だって」「わたしだって」という気持ちになるだろうし、ニートとしてはそのあたり気をつけていかないといけないなと思う。たとえば夫の愚痴をいつもより多めに聞くとか、夫の健康に普段以上に気を配るとか。

なぜかこの頃鎌倉へ行きたい欲求が強い。入院中に看護師長さんに教えてもらった「おざわ」という玉子焼きやさんに行きたいのだ。オススメされたものはできるだけ試してみるつもりがある。それにそもそも玉子焼きはわたしの大好物なのだ。
今日は予定が無いので鎌倉へ行こうかと少し思ったのだけれど、体調的に諦めた。でも「体調的に」と言い出したらいつになれば行けるのか分からない。どこかのタイミングでえいや!で行ってしまいたい。えいや!えいや!(士気を高めている)とはいえ一人で行くのは寂しい(士気が低まった)。

一人で旅行やおでかけに行ける人が羨ましいなあと思う。わたしもまったく行かないわけではないのだけれど、どうしても寂しいという気持ちが出てきてしまう。気持ちを共有する人がそばにいて欲しいと思ってしまう。それが夫であれ、友だちであれ。たぶん生来の寂しがり屋なのだ。33にもなって寂しがり屋も何もないだろうというツッコミはありつつ。

心は誰でもいつでも等しく孤独であるのだと思う。どれだけたくさんの人がいたって、かけがえのない相手と巡り合ったって、孤独は孤独に変わりはしない。
けれどだからこそ出来事や気持ちを共有できたこと、ひょっとして分かり合えたんじゃないかって思える瞬間があったこと、離れたくないと思える人に出会えたことに意味があるのだと思う。本質的な孤独さは何も解決しないけれど、生きていくときにそういった事実が力になるし、心を安らげることだってある。
もちろん孤独で別に問題無く過ごせる人もいるはずだから、万人にとってそうだなんて言わない。でも自分にとっては確かにそうで、それは夫に限らず、いろいろな出会いにありがたみを感じて生きている。

そう生きている。
どうして今も自分が生きているのか不思議で仕方ないのだけれど、仕方ないから暫定的に生きている。
生きていくことも美しければ様になるのになと思う。美しいものに対するコンプレックスは別に無いけれど、強烈な憧れは抱いている。美しければ何をしたって格好がつく。たとえそれが死ぬことだとしたってだよ。