そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

よい作品に触れたあと特有の心温まる感じ

昨日、今敏監督の「東京ゴッドファーザーズ」を観た。


映画『東京ゴッドファーザーズ 』 予告編

愛とは何かとか家族とは何かということが描かれている。クリスマスの奇跡の物語。ウェルメイドでハートウォーミング。ただし登場人物はホームレス。

とにかくよかった。すっごいよかった。控えめに言って最高だった。語彙力がなくなった。今まで見たアニメ映画のベスト10には間違いなく入る作品だと思った。みんなに勧めたい。でもうまく説明して効果的に勧めるだけの文化的素養がない。ただひたすらに好きだと表明する以外に、わたしに与えられた手段はないのである。好き好き言ってるわたしを見た奇特な方が、場合によってはこの作品を観てくれるかもしれない。だからわたしは好き好き言い続ける。好きです。あー好き。ほんと好き。

そんな余韻を残した本日。まだまだずっと考えていて。
東京ゴッドファーザーズ」を観終わったあとの感情の動きというのが、舞城王太郎の「好き好き大好き超愛してる。」を読んだときの読後感と似ているなあと思う。全然物語に類似点無いのに。なんというか、とても親密なよい物語を読んだ(観た)ときの、心に温かさが広がっていくような、そういう気持ち。その二作を結びつける人なんてわたし以外に多分いないけれど。まあ単純にどちらも大好きな作品だというだけなのかもしれない。

調べると今敏監督はすでに亡くなっていて、そのことでわたしはひどく寂しい気分になる。もっと作品を観たかったなあと思う。本人のブログの最後のエントリを読んで泣く。にわかのくせにと言われると返す言葉も無い。でも寂しいものは寂しいしかなしいものはかなしい。

月並みだけれど、作品の中に人は生き続けるのだと思う。作品を通じてその人をそばに感じることができる。心に触れた気にすらなる。勘違いだとしたってだよ。そしてそのことは生き残った人間の心にとってかけがえの無い力になったり心を安らげてくれたりすることがあるのだ。

そう考えるとやはり何かを遺したいなと思ってしまう。その一つがきっとこんな文章だったりするのだ。毎日のようにせこせこと書き続けるこんな文章が、わたしが死んだ後にきっと意味を持つことがあるんだろう。家族や友人に限った限定的な効果であるとはいえ。