そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

衰退と裏切り

日中通してぐずつくだろうとエネーチケーでは予報していたけれどすっきり晴れて夏らしい1日だ。空の青は力強く、太陽は輝きを増していて、まるでわたしを急かすようだ。急かされても、まあ、どうしようもないのが実際なのだけれど。

あらゆる情報が不要なような気がするのにtwitterから離れられないでいて、歴とした依存だよなあと思う。

twitterの話。どのクラスタでも発言力のある人の周囲、いわゆる「界隈」と呼ばれるあたりをフォローしていると、情報も手に入るけれどその口ぶりが鼻につくことがある。内輪ウケも他人からすればノイズであるし、ある場合には排他的になるものであるし。とくに他人を見下した嫌味な物言いを見るにつけげんなりした気持ちになる。リムーブすれば良いのに情報だけは欲しかったりして大変に悩ましい。まあtwitterあるあるなんだろう。いっそアカウント転生してフォローもフォロワーも厳選したいと思ってしまうけれど、現実にはそこまで割り切れもせず、まあだから、ただの愚痴なのだ。

でも実際のところゲームのことはもう情報も要らないし新しいフレンドも要らないんじゃないかって思ってきてる。細かい情報、アプデの詳細、舞台裏、ゲハのあれこれなんて知らなくてもゲームは楽しめるし、フレンドを増やせなかったとしても面白いゲームは面白いし。改めて書くと内に内に向かっていて衰退傾向でありあまりよろしくない気もするが。

まあ、ゲームに限らず、ブログでも短歌でも野球でもなんでも。とくに知識・努力偏重主義は、眺めているだけで疲れてしまう。好きだから好きじゃいけないのか? うまくなければそれをやっちゃいけないのか?

twitterで疲弊するのは嫌だなあと思う。好きな場所だからだ。でもTLを作っているのは自分の選別であるので、嫌なものはミュートに次ぐミュート、躊躇ないリムーブ、無慈悲な先行ブロックなどを駆使して心地よいTLを作っていくしかない。他人の在り方にケチをつけたって何も変わらないのだ。

それにしても最近は本当に閉じこもりがちで、自己が衰退していくのがありありと感じられる。新しい知識を求めていないし、いつもと違う刺激を嫌う。他人に対して拒否的であるし、自分に対して否定的である。もっとも自己否定は自己肯定よりはるかに簡単で無責任なので単純に易きに流れているということであるのだろうけれど。
病気に抵抗してより良くなっていこうという気概が無さすぎる。一生このまんまなんだってほとんど確信してる。それは回復を信じて寄り添ってくれてる人たちに対する裏切りだ。夫にしても友だちにしても主治医にしても。存在しているだけで常に他人を裏切り続けている。苦しい。もういろいろ諦めることを許してほしい。笑って暮らすこと、世間に溶け込んでうまくやっていくこと。生きていくことそのもの。勇気の無さが恨めしい。勇気が無さすぎて、敢然と生きていくことも、いっそ死んでしまうこともできない。

生きてもいないし死んでもいない状態を受け入れるのが人生か。参るね。