そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

何も考えず思いついたままベタ打ちした文章

空梅雨。蝉はまだ鳴かない。寝ている間にtwitterはUIの変更があった。でも別段何の影響も無い。それより人のいない海岸で海が見たい。脈絡なく思い浮かぶあれやこれや。かっこいい写真が撮りたい。インスタでフィルタゴリゴリでいい。ディズニーに行きたい気持ちは最近では薄れてきたけれどこれが年か。寿司が食べたい。頭が痛い。誰かすごい人の話だけ聞いてたい。すごいってなんだ。会社に電話しなくちゃならない。嫌だなあと思う。犬の散歩に行く。河原では誰にもすれ違わない。普通の人は出勤している時間。対してわたしはまったきニートオブニート。かなしいしせつない。たまにはまとまった文章を書きたい。Evernoteを数年ぶりに開く。6年以上前に書きかけの小説が出てくる。小説を書く熱量が欲しい。でもわたしが書きたかったことは舞城王太郎がだいたい書いてしまった。そういうことってある。

悲劇など個人のレベルではそこらじゅうに転がっている。殊更にそれぞれが大きな声を出さなくても、他の大体の人もそれはことの大小こそあれ経験している。そういう風に経験しているからこそ物語として語られる悲劇は共感を呼ぶ。語られる悲劇の中にある救済を、あたかも自分が受けたものであるかのように感じる。物語の効用のひとつだ。みんな救われたいのだ。

空は青く雲は白い。そんな当たり前を愛おしく思う心は確かにある。そうした空の下で誰かが泣いてれば悲しいし喜んでいれば嬉しいしそういう風に誰か他人が主語の物語も自分のことのように思う幼稚さがある。未分化な感受性。未成熟で不適応。何もかもに甘えてるのにまるで世界中から見放されたみたいに感じて、それが文学にでもなるというのか。繊細さ、傷つきやすさ、生きにくさ、表明されるエトセトラエトセトラ。すべて幼さと近似している。でもあのワタナベくんだって言った。「大人になるんだよ」と。「そうしなくてはならないからだ」

わたしは33歳でとっくに大人になっていて働いてたこともあって今は休んでるけど一生寝込んでるつもりでいるかといったらそうでもなくてでもどうしたらいいのかさっぱりわからなくて大人なのに全然なんにも一つもわからなくて毎日毎日毎日毎日暗い想像力に支配されて遁走したいとか挙句には死ぬことばかり考えていて要はちっとも大人になっていなくて驚いている。困ったね。