そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

Eeny, meeny, miny, moe

タイトルに特段の意味は無い。

なんとなく思い立って id:wagahaiblog さんのブログを読み返していた。すごく面白い。どんどん読み進めてしまい、結局全部の記事を読み返すことになった。自分の読んだ本、観た映画、遊んだゲーム、体験した出来事などを、ちゃんと咀嚼して自分のものに落としこんでからアウトプットしているのがいいと思った。「(本当の)自分の感想を言える」力って絶対確かにある。小学校の読書感想文とかも本来的にはそういう練習の場になるはずだけれど、先生の技量と時間がきっと足りない。話が逸れた。とにかく、自分にはこういう力は無いなあと思ってしまった。羨ましい。ずるい(ずるくない)。

「感想を表明する勇気」という概念も確実に存在する。まだこのことについて詳しいとは言えないから、もっとこれを好きな人はたくさんいるから、アンチが多い分野だから、などなど、個人が感想を表明するには心理的ハードルがいくつもあるし、どれも高い。でもそれを気にしていたらいつまでたっても何も言えない人になってしまうので、どこかでえいやと言葉にしてしまうしかないのだと思う。言葉にしないといけない理由は別に無いといえば無いけれど、人に話すことでより鮮明になることがあるから話せる相手や場所があるのなら話したほうがいいのだと思う。誰かに反論されて傷つくこともあるかもしれないけれど、まあそれでも。

それにしても今日は梅雨らしい1日になりそうだ。雨こそ降っていないものの湿気が高くて雲が垂れ込め、街に気怠さが漂っている。

実は先日人伝てで、自分が8年くらい前に友だちのことをひどく傷つけてしまっていたことを聞いた。大変ショックを受けた。
わたしは「誰かを傷つけるときは傷つけようと思ったときだけだ」という信念を持っており、できるだけ誰も傷つけないし傷つけるときは自覚的にするということを徹底して生きてきているつもりだった。けれどまったく予期しない、「まさかそんなことで傷つくとは(という考え自体がダメ)」ということで傷つけてしまっていたのだ。思い返すと自分の中に「友だちだから大丈夫だろう」という甘えがすごくあったんだと思う。やってしまった。確かに超悪ノリだった。もう取り返しがつかない。わたしはその友だちのことが大好きだったのだ。かなしい。いやかなしまされたのは相手の方だ。わたしがかなしむのは筋違いというものだろう。悪いことをした。謝りたいけど、内緒で聞いたので謝れない。それに謝ったとしたって、それは多分ただの自己満足にすぎないので、意味が無いのかもしれない。

自分が誰かを傷つける(た)存在であるというのは苦しい。生きていれば必ずどこかで誰かのことは傷つけてしまっているものだと思うのだけれど、それでも誰の害にもならない自分でいたいと思ってしまう。益にならなくてもいいから害にもなりたくない。ただの数値で表されるような存在でありたい。PV数とかフォロワー数とかそういう意味じゃなくて。健康診断で体の中のいろんなことが数値に置き換えられていくわけだけれど、そういうイメージ。ニュートラルでそれだけではなんの意味も無いような。そんな風だ。