そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

そこに愛はあるのか

昨日から話題になっていることについて考えていた。自分の中で結論は出たけど、燃えたら嫌なので書かない。
一つだけ言えることは、権利とは本来的には誰かの厚意や好意によって支えられるものでなく、その場にただあるもののはずだということ。

まあ、それはそれとして。
何かをよいと思うとき、他人がどう評価していようとよいと思える強い心があるといいと思う。たとえば水嶋ヒロ(本名は忘れた。斎藤なんちゃら)の「KAGEROU」ってわたしは割と好きだった。文章はびっくりするくらい下手くそだったし、あんなの八百長だろって今でも思うけれど、自分の身近なことを小説に仕立てるのではなく、ちゃんと「物語を作ろう」とする姿勢があってそれは好感が持てるものだった。内容はさっぱり覚えてないのだけれど。そういう具合に。
けれどなかなか他人の評価という軸からは逃れられずにいる。他の評価が低いものをよいと言い切るには勇気が要りすぎるし、リスクも高い。SNSで燃えるのも晒されるのも嫌だ。何であの人たちいちいち晒すんですかねっていう界隈がある。マウントに次ぐマウント。ゲー○ーの習性なんですか(笑)

さて、今日は曇りの横浜。三日ぶりに買い物へ行く。
すれ違う人すれ違う人に劣等感を覚えるから外出は苦手だ。誰もが自分よりは偉いし、自分よりはちゃんとしてるし、自分より社会に貢献している。それらは単なる思い込みだけれど、でも自分の中では確かな事実なのであって苦しい。

夫がわたしと一緒にいてくれる理由って何だろうって考える。今現在一緒にいることの夫側のメリットって何も無いと思っていて、じゃあなぜ離れずにいてくれるのかと言ったら、それは責任感なのか愛情なのか愛着なのか惰性なのか、まあそこらへんのどれかなんだろうなとかぼんやりと。でもそれが今後も続いていく保証は全然無くて、そしたらわたしはどうやって生きていけばいいんでしょうねっていうのが昨今の悩み事の大部分だ。でも考えれば考えるだけ馬鹿馬鹿しい。なぜなら生きていたいと別に思っていないのに生きていき方を考えなくてはならないからで、そこらへんどう折り合いをつけて生きていけばいいのだろうと思うと頭を抱えるしかない。