そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

ゆっくり死んでく

もうこれはいいやと決めたことでも、それをしている人を見ると未練を感じたりする。それはもしかしたらただの嫉妬かもしれない。でもなんにせよ自分の精神衛生にあまりいい効果はなくて、目に入らないように工夫するしかないなあと思う。ソーシャルの時代ならではの悩み事だ。ミュートに次ぐミュート。それで解決するのかどうかは、分からないけれども。

メメントモリ。死を思え。

死を思うとき、それは甘美な誘惑として目の前に浮かぶけれど、実際はきっとそんなに綺麗事じゃない。苦しかったり痛かったりつらかったりかなしかったりするはずだ。
でも生きていくことには本当に疲れた。へらへらすることにも疲れたし、社会に適応しようと努力することも疲れたし、そもそも息をすることさえ疲れる。

誰かが生きたかった明日、というのは理屈としてはわかるけれど、そのことはなんの救いにもならない。でもたしかに安全圏から死を希求するのはセコイよなとも思う。

生きていくことこそが緩慢な死だとすれば少しは救われるのかもしれない。しかしそれにしたってあと40年は長いよな。