そして毎日はつづいてく

I am always prepared to lie

生きてく衝動

ミスチルのアルバム「深海」について。

わかる人だけわかる話。シーラカンスとは一体何かってこと。ひょっとしたら議論は尽くされてるのかもしれないけれど、自分なりの答えが出たので書く。

シーラカンス」と、生きた化石と呼ばれる生物に例えていることから、「かつては普通にあったもの」「今も奥深い海のような場所でたしかに存在するもの」を表していると考えられる。それは「愛する人の中」や「僕の心の奥深く」に今でもあると感じている。

最初は情熱とか、愛とか、あとはありきたりに「自分自身」とかそこらへんかと思っていたけれども、それらは「深海」ほど深くはないところにあるような気がして。で、じゃあ「深海」に押しやられた何か大切な気持ちって何かなって思ったら、ああこれはもっと根源的な「生きてく衝動」のことだなという答えに至った。それを見失っているから「死にゆくことにさえ憧れ」てしまう。でもそれがかつて、そして今でも実は自分の中や愛する人の中にあることは分かっていて、だから「シーラカンス」に連れてってくれないか、連れ戻してくれないかと切望する。思いつきなので論理的でなく申し訳ないですが。異論は山ほど受け付けます。

生きていくことって、死ぬことよりもはるかに衝動的なんじゃないかと近頃は思う。押しとどめることのできない衝動。理屈も理由も動機も道理もない。ただ沸きあがる、人を突き動かす生命の躍動。生きてく衝動性に比べたら死ぬことのほうがよっぽど理性的に思えすらするくらいだ。冷静に考えてしまえば一人の人が人生を全うする理由なんてそれほどなくて、意味もたいしてない。気をつけてたって人は死ぬし、そのことで世界は終わったりしないことからもそれは明らかだ。でもじゃあなんで生きていくのかっていったら、何の説明も要らないほど強い単純な根源的な生きてく衝動の所為なのではないかと思う。

だから「深海」という最後の曲で、「死にゆくことにさえ憧れるのさ」と歌いながら一方で「シーラカンス」を待ち焦がれているというのは、本当は強い生への憧れ、執着を歌ってるのかなあと。
まあ今更かもだけれど。